木のぬくもりと柔らかく丸いフォルム。
お弁当作りにいそしむ方なら一度はこの「曲げわっぱ」のお弁当箱に憧れませんか。
全国各地で製造される曲げわっぱ製品の中でも、秋田県大館市の「大館曲げわっぱ」は国の伝統工芸品として認められています。
大館曲げわっぱのお弁当箱は、一つあたり3万円前後という一級品です。価格に驚くかもしれませんが、その価値には納得せざるを得ません。なぜなら、大館曲げわっぱには他に類を見ないジャパンクオリティな要素が詰まっているからです。
本記事では、日本のお弁当箱の最高峰と言える「大館曲げわっぱ」にスポットを当て、その魅力や歴史、お手入れ方法、さらには製作体験などについて詳しく探っていきます。
曲げわっぱという伝統工芸品の魅力に触れながら、自分だけの特別なお弁当作りを楽しんでみませんか?
この大館曲げわっぱのお弁当箱は一つ3万円前後のものもある一級品。
値段を聞くと大変驚きますが、これだけお値段が張るのも納得するほど、この大館曲げわっぱには他には類を見ないジャパンクオリティな要素が詰まっているのです。
今回はこの日本のお弁当箱の最高峰と言っても過言ではない「大館曲げわっぱ」にクローズアップします。
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大館曲げわっぱヒストリー
この章では大館曲げわっぱが秋田の大舘市でなぜ生まれたのか…という歴史を探っていきたいと思います。
人々の知恵と技術と苦労が詰まったジャパンクオリティの逸品が歩んできた足跡を一緒に辿っていきましょう。
奈良時代・平安時代の曲げわっぱは現在とほぼ変わらない
大館曲げわっぱのはじまりは、はるか昔に遡ります。
時は奈良時代。
元々は木こりが山に籠って仕事をする際に杉の生木を曲げて桜の皮で縛ったものを弁当箱として利用したものがルーツではないかと言われています。
また平安時代の遺跡より曲げわっぱと見られる器が発掘されていて、大館郷土博物館に所蔵されているこの時代の曲げわっぱは驚くことに、現在とほぼ変わらない形をしています。
江戸時代は下級武士の副業として奨励
大館曲げわっぱの生産が本格化していったのは、時を経た江戸時代初期。
関ケ原の戦いで敗れた豊臣方の佐竹義宣が徳川幕府によって水戸から秋田へ移転させられた頃、秋田は立て続けに起こる冷害や水害の甚大な被害を受け、人々の生活は極めて困窮していました。
そこで当時豊富にあった天然秋田杉に大館城主佐竹西家は注目し、下級武士の副業として奨励したのです。
再び注目されるようになった現在
その後も秋田で生まれた大館曲げわっぱは関東や酒田(山形)、新潟へ出荷され、全国的に流通していきました。
しかし1980年以降になると、熱に強いアルミやスチール、安価なプラスチック製の弁当箱などが台頭していったため、大館曲げわっぱの産業は少しずつ縮小せざる終えない状況に。
そんな苦境を乗り越え今「大館曲げわっぱ」が世界的に改めて注目されているのは、確かな日本の技術が紡ぎだした美と実用性が再認識されつつあるからではないでしょうか。
大館曲げわっぱの魅力を徹底解剖
歴史の流れを把握したところで、実際に大館曲げわっぱがなぜ今も尚人々に愛されているのか…
その魅力に迫っていきましょう。
魅力その①強度や耐久性の強い天然杉が原材料
まず大館曲げわっぱの一番の魅力として挙げられるのは日本三大美林とも言われている天然秋田杉を原材料として使用している点です。
雪が多い秋田では寒さで木の成長が緩やかになり、年輪の幅がしっかりと詰まるだけでなく、まっすぐに育つことで強度や耐久性が増しています。
またこの曲げわっぱに使われている杉は樹齢200年から250年のものばかりで、天然の赤や淡い黄色が美しく反映されている色合いも人々を惹きつけています。
現在では天然秋田杉の伐採が自然保護目的で2013年に全面禁止されたため、かなりの希少価値が上がっているのも事実です。(現在の状況:原木の在庫利用を除くと原料のほとんどが「秋田杉」と呼ばれる人口的に植林された杉を使用しています。)
魅力その②職人の確かな技術による銘品
大館曲げわっぱはいわずもがな熟練の職人によるすべて手作業で、曲げわっぱが誕生して今日に至るまで同じ製法で作り続けられています。
人の手で作られるしなやかな曲線美と優しい風合いは、使う人に寄り添って一つ一つ丁寧に作られていることが一目見てわかるほどのジャパンクオリティです。
曲げわっぱづくりの一連の流れを下記にまとめてみました。
1:製材・部材とり
樹齢150年~200年以上の天然秋田杉を数年かけて乾燥させた丸太を使いわっぱづくりは行います。天然素材であるが故、同じものは一つとして存在しないので、節が一つもなく美しいものを見極めて選び取る大切な工程です。
2:はぎ取り・煮沸
次に切り出した曲げの部分の板の両端を薄く加工します。(はぎ取り)この工程のおかげで木を曲げて端を合わせた時に均一な厚さが実現します。その後材料を一晩水に浸け、その後熱湯に浸けて柔らかくします。前日に水を吸った材料は熱で中までしっかりと柔らかくなり、綺麗な曲げを実現します。
3:曲げ加工
いよいよ曲げ加工。熱湯に15分程度付けた木材を熱いうちに素早く、それぞれ製品のサイズに合わせたゴロと呼ばれる円形の型に巻きつけながら曲げていきます。
4:乾燥・接着
形がしっかりと定まったら木挟で挟み、自然乾燥させてから材料の接合部をつま取りします。乾燥後、接合部は接着剤をつけて再度木挟で固定して接着し、なめした山桜の樹皮で縫い留めてから、やすり掛けをして表面仕上げを行っていきます。
5:底入れ・組み立て・仕上げ
最後の工程はさらに骨が折れるものです。接着された側板に底板を入れる溝を掘っていきます。そして底板の収まり具合を微調整しながら、接着剤を薄めに塗り、トンカチなどで軽くたたきながらはめ込んではみ出た接着剤をふき取ります。その後本体のでっぱりや気になる部分は全てヤスリやろくろで丁寧に仕上げていき完成です。
魅力その③冷めにくく、ごはんが美味しい
曲げわっぱの実用的な魅力として最もお伝えしたいのは「とにかくごはんがおいしい!」ということです。
杉はご飯の水分を適度に吸収し、逆に少し乾いたら杉が含んだ水分をお米に戻してくれるという画期的な効能を持っています。
このことからお弁当のように持ち歩いて冷えてしまうものでも、美味しく食べられるというわけです。
また木の自然な香りが食欲をそそるだけでなく、杉の持つ殺菌作用のおかげで食べ物が傷みにくいという優れた面も持ち合わせているので、大館曲げわっぱはいわば最強のお弁当箱なのです🍱
大館曲げわっぱのお手入れ方法
さて憧れの曲げわっぱを手に入れた後、皆さん気になるのがお手入れ方法ではないでしょうか。
決して安くはないお買い物ですし、繊細な素材だからこそ大切に扱いながら長く愛用していきたいですよね。
この章では基本的な大館曲げわっぱのお手入れ方法と取り扱い上の注意点についてお話していきます。(今回は全く無加工の白木の曲げわっぱ中心のお話。)
お手入れの注意点①洗剤は基本的に使わない
全く無加工の曲げわっぱには基本的に洗剤は使わないようにしてください。
木の材質は匂いや味が移りやすいのでせっかくの曲げわっぱが台無しになってしまいます。
汚れが気になる場合は5分から10分ぬるま湯に浸け(漬けすぎ注意)汚れを浮かせたら、スポンジで優しく洗い、40℃~50℃のお湯ですすぎます。
クレンザーや漂白剤、たわしやブラシ、食洗器はキズや変色の元となるので絶対に使用しないでください✖
お手入れの注意点②しっかりと乾燥させる
カビや黒ずみを防ぐためにも一番大切なのはしっかりと乾燥させることです。
上向きに立てかけて最低1日はしっかりと乾燥させてください。
一番良いのは、曲げわっぱを二つ持ち交互に使うことだそうですが、なかなか高価なものなので難しいかと思います。
湿気の多い時期などで完全に乾燥していないなという時は使用せず、別のお弁当箱を使うようにするのも曲げわっぱを長持ちさせるコツかと思います。
お手入れ注意点③黒ずみは作らない
使っていくうちに少しずつ気になってくるのが黒ずみ。
カビと勘違いする方も多いのですが、この黒ずみは木に含まれているタンニンとごはんのでんぷん質が反応して黒くなってしまったのものです。
身体に一切害はないのですが、一度できてしまった黒ずみは落ちにくいのでしっかりと乾燥させて元々黒ずみを作らないようにすることが大切です。
あまりにも気になるという場合は、酢と水1:1に30分程度付けて洗い流すと少し軽減しますが、木の色の変色につながる可能性もあるのであまりおすすめはしません。
曲げわっぱにお弁当を詰める時のコツ
曲げわっぱは他のお弁当箱に比べると深さがあるので最初はおかずやごはんの詰め方に悩む人も多いのではないでしょうか。
ちょっとしたコツを掴むととっても華やかでまさにインスタ映えするようなお弁当になるので、覚えておくととても便利です!
まずご飯をふんわりとお弁当箱の斜めに盛って粗熱をとり、おかずをご飯に立てかけるイメージで詰めていきます。
汁気のあるものには青じそなどを引いて対処し、高さをそろえるためにおかずの下にさらに玉子焼きなどを忍ばせて底上げすると見栄えがグッと美しくなります。
曲げわっぱのお弁当箱を使い始めた人々は口をそろえて時間や心の余裕ができ、丁寧な暮らしになったと話すそうです。
木のぬくもりを感じながら素朴で素材の旨みを凝縮したおかずを味わう時間が至福であると共に、お弁当を詰めるという本来ならば面倒な作業さえも楽しく感じてしまう不思議な魅力を持っているのが曲げわっぱなのです。
お弁当の歴史~いろいろな形に姿を変えて~
さてここまで曲げわっぱのお話をしてきましたが、筆者は曲げわっぱ弁当について調べていくうちにそもそも日本の「お弁当」っていつからあるのだろう?という疑問がふと浮かんできました。
意外と知られていない日本のお弁当の歴史にせっかくなので少しここで触れさせてください🍱
織田信長が付けた?!知られざる「弁当」秘話
日本のお弁当はすでに平安時代からあったと言われていて、当時は御粮(みかれひ)・乾飯(かれいひ)・干飯(ほしいひ)と呼ばれる乾燥米などが竹の皮や熊笹の葉などに包まれたものだったようです。
またかの有名な織田信長が安土城にたくさんの人々を招待し食事をふるまった際に、配当を弁ずると言う意味と、当座を弁ずると言う意(差し当たりすませると言う意味)で「弁当」と初めて名付けたという一説も残されています。
しかしながら弁当の語源は中国の「便當(便利なこと)」という昔の言葉から来ているという説も有力なのでどちらの説が信ぴょう性があるのかは定かではありません。
いずれにせよ日本のお弁当ははるか昔から農作業をする人々にとっても、持ち運べる便利な食料として親しまれてきたのです。
ご飯が一口サイズで食べやすい「幕の内弁当」の誕生
江戸時代にはお弁当が今まで以上に普及します。
この時代は観劇が人々の娯楽として大流行したため、街には弁当屋が立ち並び、芝居の「幕間」(休憩時間)に食べる「幕の内弁当」が誕生しました。
当時は幕間に食べやすいようにお米は小さいおにぎりになっていたようですが、現在の幕の内弁当もミニサイズの俵型に型押しされており、かつてのおにぎりの名残をきちんと受け継いでいます。
旅気分が味わえる「駅弁」の登場
明治時代に入ると鉄道の駅で売るお弁当「駅弁」が登場します。
駅弁の第一号と言われているのは栃木県宇都宮駅で売られたおにぎりとたくあんが竹の皮に包まれたものだそうです。
当初は素朴かつシンプルな駅弁でしたが今ではまるで料亭で出されるような高級なものから、ひもを引っ張ると発熱してホカホカの温かい弁当を食べられるものなどバラエティ豊かで旅の楽しみの一つにもなっています。
弁当「BENTO」に世界が注目
最近では日本文化に関心の高いフランスパリで日本の弁当ブームに火が付いたのを皮切りに、瞬く間に世界中に「BENTO」という言葉が浸透していき弁当ブームが巻き起こっています。
しかしながら不思議なのはなぜ昔からある弁当が今まで世界では注目されていなかったのかということです。
諸外国では米というとタイ米が主流で、これらは日本で食べているジャポニカ米のように冷めても美味しいとはとても言い難く、弁当にするのが困難だったということが一番の理由です。
だからこそ外国の方が日本のお弁当の「冷めても美味しい」を知った時の感動は人塩で、今日こうしてトレンド入りしているのも納得の結果なのかもしれません。
曲げわっぱの製作体験が出来て、持ち帰りもできる!
さて、曲げわっぱやお弁当の歴史に触れ、日本の食文化に再び感動したところで、秋田県大館市での製作体験や工場見学の機会をご紹介します。
大館工芸社のハンディクラフトスタジオでは、自分好みの体験キットを選び、曲げわっぱの製作体験を楽しむことができます。さらに、作った作品はそのまま持ち帰ることができます。
工芸社のスタッフは、取扱い方法や秋田杉についても丁寧に教えてくれるので、大館曲げわっぱの魅力を存分に体感することができます。
是非、大館工芸社のハンディクラフトスタジオで自分だけの曲げわっぱを作り、その美しさと職人の技に触れてみてください。
秋田県大館市ならではの贅沢な体験が、お弁当作りをより一層楽しく特別なものにしてくれることでしょう。
近年ではお弁当箱だけでなく曲げわっぱのコーヒーカップなど、伝統技術が生み出す美しい曲げわっぱの食器たちへの関心が一層高まっているので、自分だけの曲げわっぱを購入してみるのも暮らしが豊かになりそうですよね。
秋田県大館市の曲げわっぱ―伝統工芸の至宝をご紹介!天然杉の強さと職人技、ごはんが美味しく映える特性を紐解き、お手入れやお弁当文化の歴史も解説します。さらに、大館市での製作体験も可能です!日本の伝統と匠の技に触れる貴重な機会。秋田の誇りを胸に、伝統工芸の粋を味わい尽くしましょう。
大館工芸社 ハンディクラフトスタジオ
公式WEB:大館工芸社 ハンディクラフトスタジオ
住所 :秋田県大館市釈迦内字家後29番地15
TEL :0186-48-7700
執筆:Honami
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