藤城清治の影絵作品にみる光と影のジャパンクオリティ
先日筆者が訪れた影絵作家藤城清治氏の展覧会「光と影で愛を永遠に」。
現役99歳の影絵作家が描く光と影の世界はとても繊細で、「闇は怖いものではなく本当に美しいものを浮かび上がらせてくれるもの」。
そんな風に思える何か強い力を感じました。
一つ一つ手で紡ぎだされる影絵作品の数々は、まさにジャパンクオリティそのもの。
今回の展覧会は撮影可能だったため筆者が見た影絵作品の数々をご紹介するとともに、藤城氏の作品を通して今回は日本の影絵が世界中に愛されるその理由に迫っていきたいと思います。
本記事では、藤城清治の影絵作品に見る光と影、日本の影絵の歴史、そしてジャパンクオリティに触れる構成でお伝えします。
影絵作家藤城清治の生い立ち(1924年~1988年)
1924年東京に生まれた藤城氏は、幼少期から画才を認められていました。
12歳で慶應普通部に入学すると、仙波均平氏に水彩画・油絵・エッチングを教わるようになり、ピカソやマチスなどモダニズムに憧れるようになっていったようです。
こちらの作品を見ていただくとわかるように、影絵作家としての才能だけでなく絵画においても飛びぬけた才能を発揮されていることがわかります。
まもなく第二次世界大戦に突入すると、滋賀海軍航空隊に入隊した藤城氏は少年兵たちと赴任地で慰問演芸会を行い、人形劇を演じていたようです。
この頃から子供たちに夢を与える影絵作家としての道が、もしかすると見えていたのかもしれません。
終戦後は慶應義塾大学経済学部に戻り油絵制作や人形劇の製作に没頭する傍ら、慶応の講師で人形劇研究家の小沢愛圀氏によってアジアの影絵芝居と出会い、影絵劇に着手。
これが藤城氏と影絵との出会いとはじまりです。
同大学卒業後は東京興行(現在のテアトル東京)に入社し宣伝部に勤務する一方、 セミプロの人形と影絵の劇場ジュヌ・パントルを結成(後の木馬座)。
またこの時期には編集者、グラフィックデザイナーであり雑誌『暮しの手帖』の創刊者花森安治氏に認められ、、『暮しの手帖』の影絵連載を開始しました。
その後はNHKの専属となり、数々の名作を生み出していきます。
精力的に制作を進めていく中で、藤城氏の作品は子どもたちだけでなく大人たちの心も強く惹きつけ日本を代表する影絵作家の一人となっていきました。
1983年には皆さんの良く知る宮沢賢治原作の絵本「銀河鉄道の夜」がチェコスロバキアの国際絵本原画展BIBの金のリンゴ賞受賞し、海外でも藤城氏の作品は次々と注目を浴びていきます。
影絵作家藤城清治の生い立ち(1989年~2019年)
そして1989年にはついに紫綬褒章を受章。
その後も日本全国で展覧会を開き、海外でも精力的に活動を続けていきます。
藤城氏は童話を元にした作品だけでなく、東日本大震災後には「岩手県陸前高田市の軌跡の1本松」や「福島原発ススキの里」など、被災地の復興を願う影絵作品も数多く製作し「あらゆる生命は、必ずこの災害を乗り越えていく」という強いメッセージを影絵に込めています。
放射線の線量を測定する線量計が鳴っても、その場を動こうとせず夢中で被災地のスケッチを続けた藤城氏の姿は以前テレビ番組でも取り上げられ、筆者の脳裏にも強く印象に残っています。
子どもたちに純粋に楽しんでもらうため、そしてその子供たちの未来を守っていくため。
藤城氏の影絵作品は、まさに光と影の中に大きな愛情と明るい明日への想いが込められているように感じられます。
藤城清治が扱う独特の技法と表現手法
影絵とはいうまでもなく、「紙」「技」「光」「色」の調和があってこそ生まれる世界観です。
藤城氏の類まれなるカッティングの技術は特に、日本だけでなく世界でも例にない独特なものであると称されています。
使用しているのはカミソリの刃。
鋭く優しいカッティングにより、影絵の世界に命が吹き込まれていくかのような生き生きとした光と影のアートが生まれているのです。
この技法が昭和23年に雑誌で取り上げられて以来、半世紀以上藤城氏はさらに工夫を重ねながら今日に至るまで素晴らしい作品を世に送り出しています。
那須高原藤城清治美術館の魅力
全国各地で藤城氏の影絵展覧会は行われていますが、藤城作品を常に鑑賞できる美術館が2013年那須高原に開館しました。
こちらの美術館のテーマは藤城氏の原点である「生きて演じ動いていること、舞台と観客がひとつになり感動すること」を体感できる劇場型美術館。
藤城氏の代表作をはじめ、過去最大サイズの作品や被災地復興を祈った作品。
ミニ影絵劇の回転舞台や足を踏み入れた空間に映像が溶け込むプロジェクションマッピング。
絵本の世界にそのまま入り込んでしまったかのような感覚を味うことができ、藤城作品を余すことなく楽しめます。
大自然の中でゆったりと過ごせるカフェで寛ぐのも美術鑑賞の合間の幸せなひと時です。
また、館内の至る所には藤城作品でお馴染みの可愛らしい猫がお出迎えしてくれます。
ぜひ那須高原の美味しい空気を吸いに、美術館を訪れてみてください。
住所:栃木県那須郡那須町湯本203
TEL:0287-74-2581
開館時間:9:30~16:30(ご入館は16:00まで)
休館日:毎週火曜日(祝日の場合開業)、 年末年始休館、メンテナンス期間
入館料:一般(高校生以上)2000円 ・中学生以下(3歳以上)1300円
・各種お手帳をお持ちの方:1300円 ・99歳以上のお客様:1300円
日本の影絵の歴史
日本の影絵に色を取り入れた先駆者としても知られる藤城清治。
光源だけでなくセロファンを重ねていくことで美しく繊細なグラデーションを実現しました。
実際500種類以上のセロファンを巧みに使い分けながら複雑な色の世界を表現しているようです。
そんなカラフルな影絵が誕生するまで、日本においての影絵は一体どんな存在だったのでしょうか。
江戸時代初期から親しまれてきた手影絵の歴史
日本では実は江戸時代初期から影絵は親しまれてきています。
まず伝統的な遊びとして「手影絵」があります。
手でキツネや鳥などの動物をつくり、障子に写して遊んだ経験がある方も多いのではないでしょうか。
実際江戸時代に、十返舎一九作、喜多川月麿画による影絵の指南本として『和蘭影絵 於都里伎』が刊行されています。
副題に「和蘭影絵」とついていますが、これは決してオランダのものという意味ではなく、当時蘭学などの西洋事物が巷で流行したことからオランダ語やオランダ文字を入れたものが粋であるとされたことによるものです。
本の表題『於都里伎(おつりき)』は「おつである(面白おかしい)」という意味を表していて、前のページで影絵を紹介しつつ次のページを開くとその影絵の作り方がわかるようになっていてクイズ形式で楽しみながら19の影絵を紹介しています。
パロディ本と称されるだけあってどれも実現困難な影絵が多く、添えられている解説文に思わず笑ってしまう一言が記されているのも特徴です。
進化していく影絵の世界
また手影絵と同時期に影絵を使用した回り灯籠も江戸初期には多く見受けられるようになっていきます。
更に庶民の娯楽として、手持ちの幻灯機を使用した「上方・錦影絵」「江戸・写し絵」と呼ばれる影絵劇が親しまれるようになっていったのもこの頃です。
影絵の歴史は本当に深く、江戸時代から人々の心に印象的な光の世界をもたらしていたことがわかります。
そんな影絵が現代ではさらに進化を遂げてきました。
形を変 え 次々と襲いかかる影絵との舞台は、一糸乱れぬ緻密な映像演出と早乙女太一 の才能の上に成り立っています。 早乙女太一☓チームラボ [吉例]新春特別公演「龍と牡丹」-剣舞/影絵-
ジャパンクオリティに触れる
最後にご紹介するのは藤城清治氏が自ら監修・設計し影絵の作品を集めた世界初の影絵美術館です。
影絵の魅力をたっぷり味わえる「昇仙峡 影絵の森美術館」では、入館前に影絵をもっと楽しんでもらうための下記の方法がHPに記されています。
1.入館前の事前調査!!(ホームページをご覧頂いている方はもうお済ですネ)
2.入館されましたら3秒程目を閉じ館内の暗さに目をならしてください。
3.線の切り方やグラデーション、ぼやけて見える部分とクッキリ見える部分を良く見て頂くとより一層お楽しみいただけます。
4.水と鏡の奥に影絵を見つけたら顔を出して左右を良く覗き込んでみてください。
5.藤城清治氏の影絵は白黒では御座いません。様々な色が織成す光と影の芸術をたっぷり楽しんでください。
昇仙峡 影絵の森美術館公式HPより
ぜひ、光と影が織りなす今までに見たことのないジャパンクオリティに触れてみてください。
住所:山梨県甲府市高成町1035-2
TEL:055-287-2511
開館時間:9:00~17:00
休館日 :年中無休
入館料 :大人900円・中学・高校生600円・小学生500円・園児300円
コメントを残す