日本の消費者は、商品選びにおいて価格だけでなく「国産(メイドインジャパン)かどうか」にも高い関心を寄せています。
その理由は品質と信頼性を重視するジャパンクオリティに対する強い信頼感があるからです。
中でも、ファッション界において「ジーンズ」は、そのジャパンクオリティを象徴する存在となっています。
今回ご紹介する岡山県倉敷市児島地区は国産ジーンズのメッカとして知られており、そのクラフトマンシップと緻密な仕上げは世界中で高い評価を受けています。
この地域はかつて綿花の生産と織物産業が栄えた歴史を持ち、児島の職人たちはその伝統的な技術を継承し、ジーンズの製造に生かしています。
岡山県倉敷市児島地区の国産ジーンズは、卓越した品質と職人の手仕事による仕上げが特徴です。ジャパンクオリティの真髄を感じることができるこれらのジーンズは、世界中のファッション愛好家から絶大な支持を受けています。
この記事では、岡山県倉敷市児島地区の国産ジーンズの魅力とその背後にあるジャパンクオリティの追求に焦点を当て、その歴史と魅力を紐解いていきます。
ジーンズファッションや日本の伝統産業に興味のある方々はぜひご覧ください。
(※この記事は過去の記事を更新し2023/09/22再公開しました。)
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国産ジーンズのルーツ 岡山県児島の歴史
現在の岡山県倉敷市児島は、奈良時代にはまだ瀬戸内海に浮かぶ島の一つでした。
このことは日本最古の歴史書「古事記」にも記されています。
瀬戸内のちょうど中ほどに位置していた児島は、当時四国や西国との交通上の重要拠点でした。
その後、時代は流れ、江戸時代に入ると、国力増強を図る組織的な新田開発が進み、児島も干拓が行われ、陸続きの「児島半島」となりました。
しかしながら海に浮かぶ島だったこともあり、児島の土は塩を多く含んでいて米作には大変不向きだということが判明しました。
そこで、ガラッと発想を変え、塩分に強い綿を植えたところ…大当たり!!!
児島の雨が少なく温暖な気候も綿栽培には最適だったのも相まって、これを機に、古くから有名な三河木綿に並ぶ高級品として児島の綿が知られるようになりました。
児島の木綿織業の起源と発展
時代の流れと共に逆境に屈せず進化を遂げてきた児島の木綿織業について見ていきましょう。
江戸時代からの伝統―旅人の口コミナンバー1「真田紐」
児島の木綿織業は時代とともに目覚ましい発展を遂げていきます。発端は江戸時代後期。
刀の下げ緒や下駄の鼻緒に使われる「真田紐」の生産が始まり、当時大変盛んだった両参り(金毘羅宮と由加神社本宮とを両方参拝すること)で訪れた旅人が土産として全国に広め、瞬く間にその名が知られていきました。
明治時代―1000万足の「足袋」で日本一に!
明治に入ると、帯刀禁止令が発せられた影響もあり、真田紐の需要が徐々に減っていきます。
しかしここで産業を途絶えさせないのが、児島の凄さです。
明治15年に日本で民間初の紡績所下村紡績所が創設されると、繊維産業がさらに地域の発展に大きな影響を与えていきます。
ヨーロッパから輸入された動力ミシンによって大量生産が可能になり、当時の人々に欠かせない「足袋」が児島の新たな木綿織業の主軸になっていきます。
1919年には、とうとう足袋の生産量は1000万足を超えて、児島は足袋で“日本一”になります。
大正時代から昭和前期―元祖「学生服」を生んだ街
ところが第一次世界大戦後、足袋もまた、人々の生活が目まぐるしく変わり、洋装が一般化していく中で、残念ながら衰退の一途をたどっていきます。
やがて足袋に代わって、次に児島の産業を支えたのが、いわゆる「学ラン」で知られる「学生服」でした。
足踏みミシンの導入により、始まった学生服の生産は洋風文化が加速する日本の大きな波に乗り、太平洋戦争中の生産縮小も乗り越え、東京オリンピックを翌年に控える1963年には1006万着という史上最高の生産記録を叩き出しました。
昭和後期から平成―古着から見出した「ジャパンクオリティ」
学生服や作業服など、高度経済成長期の日本を支えるものを次々と生み出した児島は、常に時代や文化の流れに敏感で、今まで数々の方向転換で木綿織物業を守ってきました。
そしてこの時すでに、学生服の需要減少を真摯に受け止め児島の人々は、東京オリンピックを契機に新しいものを…とアイデアを巡らせます。
そんな中、戦後、目にしてきた米軍古着の中に、数多く紛れていた日本人になじみの深い「藍色」(ジャパンブルー)のズボン、「ジーンズ」が目に留まります。
今まで「足袋」「学生服」で培った裁断・縫製技術を最大限に生かし、「自分たちにもオリジナルのジーンズが作れるのではないだろうか」この想いが、倉敷市児島の国産ジーンズの歴史の始まりとなったのです。
国産ジーンズの誕生と日本ならではの魅力
まず国産ジーンズの先駆者となったのは、児島の服飾メーカー・マルオ被服(現在の株式会社ビッグジョン)でした。
1965年、マルオ被服は今までの学生服や作業服づくりのノウハウを駆使し、アメリカから輸入したデニム生地を使って縫製し、国産初の「ジーンズ」を生み出しました。
その後もマルオ被服は、当時若者に大流行したヒッピーファッションの代表ともいえる「ベルボトム」や日本初のカラージーンズ等、次々とジーンズブームを巻き起こしていきます。
そんな中、輸入した生地ではなく、デニム地自体も国産のものを作れないのだろうかという開発も行われていました。
しかし、当時の日本には学生服の2倍の厚みのデニム地を織る機械は存在せず、開発はハードルの高いものでした。
それでもやはり、モノづくりに情熱を捧げる日本人ならではの努力で、1973年倉敷紡績(クラボウ)が日本初の国産デニム地の開発に成功し、純国産デニムが生まれたのです。
こうして生地から縫製に至るまで全てが日本クオリティの「ジーンズ」が作られるようになり、国内外で岡山県倉敷市児島が名実ともに日本を代表するジーンズの産地に発展していきました。
海外でも大人気の“国産ジーンズ” 愛好家をうならせるポイントは?
さてジーンズといえば、生みの親LEVI’Sを筆頭に、アメリカデニム御三家のLeeやWranglerのように古くから愛されるブランドや、DIESELのように若者に人気のブランドなど、世界中に数多くブランドが存在することは皆さんもご存知だと思います。
それでも、岡山県産のデニム地はジーンズ愛好家を魅了するだけでなく、CHANELやGUCCIなど高級ブランドや話題のヨーロッパブランドDENHAMのジーンズ製品にも採用されている実績があるのです。
ここでは3つのキーワードとともに国内外で愛されるジャパンクオリティのジーンズの秘密に迫ってみようと思います。
ジャパンクオリティキーワード①―技術の粋
国産ジーンズは、熟練した職人の手によって一つ一つ手作業で作られています。近年ファストファッションが定着し、機械による大量生産が多く無個性なジーンズが多い中で、手作りの縫製・加工は他と比べても圧倒的な個性が出るとても重要なポイントです。
職人たちがそれぞれの持ち味を、ジーンズづくりの各工程で発揮していくことで、ジャパンクオリティが生まれています。
▼職人の熟練した技による見事なディテール表現
児島のパタンナー(デザインを型紙に起こす人)は、体系に合った美シルエットが生まれるように、ジーンズを徹底研究しています。
ブランドによっては一人ひとり採寸から行い、オリジナルパターンを用いた世界に一つだけのオーダーメイドデニムを手に入れることもできます。
▼職人の技が生み出す縫製技術
縫製においては今まで数々の綿産業を発展してきた独自のノウハウを生かしながら、正確で緻密なミシンワークで完璧な縫製が行われています。
中にはあえてよじれやねじれにこだわりたいジーニストもいるので、ヴィンテージジーンズに使われていた特別なミシンで縫製を行っている会社もあります。
▼ジーンズへの愛情が生んだ世界初の加工技術
ジーンズの加工には様々な手法が用いられています。
例えば個性のあるアタリ(色落ち)を出すために形がばらばらの軽石と一緒に洗う(ストーンウォッシュ)、履きこんだようなひげを出す(シェービング加工)、クラッシュやダメージを入れる加工等、職人の手で独特な風合いを細かく全体のバランスを考えながら作っていきます。
児島はジーンズに世界で初めて加工を施したことでも知られていて、その加工技術はトップクラスです。
ジャパンクオリティキーワード②―素材へのこだわり
ジャパンクオリティと呼ばれる所以は、ジーンズに使われるそれぞれの素材にも秘密が隠されていました。
▼海外からも愛される「ジャパンブルー」の輝き
ジーンズというと「青」を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。
ジャパンブルーに代表される「藍染め」は何度も何度も染めを繰り返すことで、青が深まり、その段階に応じて色の濃さが楽しめるのが特徴です。
ジャパンブルーは「児島ブルー」いう異名を持つほどで、この独特の青を用いたジーンズも人気の一つになっています。
自然な藍色からできる濃紺のジーンズを筆頭に、合成インディゴと融合させたジーンズなど(通常合成インディゴは色落ちしやすい性質の為、ジーンズ独特の色落ち=味を出すのに適している)特別な1本を生み出しています。
▼糸1本にも込められたこだわり
児島のジーンズは、綿糸を使って縫製されています。
ポリエステルの糸だと糸だけが浮いてしまったような縫製になってしまうというデメリットがあるからです。
ブランドによって、太めの糸を使ったり、カラーステッチを施したり、細かい部分にも気を配っているのはまさにジャパンクオリティです。
ジャパンクオリティキーワード③―「愛着の増すアフターフォロー」
「こんなものまで修理するの?」と外国人から驚かれることが多いくらい、日本人の美徳として、古くから物を大切にするという文化があります。
もちろんジーンズもしかり。
履いていくうちにほころんできた部分や気になる箇所はメンテナンスをして、また更に長く愛用してもらえるようにメーカーで修理を行うブランドが数多くあるのも、国産ジーンズの魅力です。
デニムのプロの手によってまた再生するジーンズにさらに愛着が湧くジーニストも多いようです。
ジャパンクオリティを体験する場所
ここまで児島のジーンズを余すところなくご紹介してきましたが、最後にこのこだわりのジーンズを自らの手で創り上げることができるとっておきの体験スポットをご紹介します。
「ベティスミス・ジーンズ ミュージアム」でデニムづくり体験
職人技を自ら体験できる日本初のジーンズの博物館「ベティスミス・ジーンズ ミュージアム」。
このミュージアムでは、日本で初めてジーンズが作られた当時に使用していたミシンなどのジーンズに関わる貴重な資料が展示されているだけでなく、職人と同じ機械を使って、ジーンズづくりの一部を体験することができます。
縫製工程までできたジーンズを購入し、好きなパーツを選び、オリジナルジーンズに自らの手で仕上げていくことができる貴重な体験施設です。
住所:岡山県倉敷市児島下の町5-2-70
TEL:086-473-4460
営業時間 /10:00~17:00(変更の可能性あり、お電話でご確認ください)
休館日 / 年末年始
児島の国産ジーンズ─ジャパンクオリティの輝きと一生ものの価値
岡山県倉敷市児島地区の国産ジーンズは、世界的な注目を浴びるジャパンクオリティの象徴です。
職人の技と情熱が息づくオリジナルなジーンズは、その一着に特別な価値を感じさせます。
児島でのジーンズ作り体験は、旅の記憶に深く刻まれる貴重な体験となることでしょう。
あなたも児島の国産ジーンズの魅力に触れ、ジャパンクオリティを身に纏ってみませんか?
筆者:Honami
私はジーンズに興味があって、このサイトを拝見したのではなく、趣味の能楽の中の謡曲というものを楽しんでいます。このほど、謡曲の中でも有名な、「藤戸」という世阿弥の作品を稽古していて、藤戸という地名は古く、当時は
島であった、とあり、現在の様子を岡山県児島、国産ジーンズ発祥の地と知り、何だか、感動してしまいました。
記事の中に、世阿弥の時代には藤戸と呼ばれていた、などと書かれているかと期待しましたが、それはありませんでした。でもこの地の方々が、様々な困難に立ち向かって、新しい事業に挑み、世界に誇る、国産ジーンズを生産なさっていることを思うと、藤戸の地名がさらに由緒あるものに思えてなりません。
ぜひ、このお能をお読みください。