江戸時代の旅人に思いを馳せる

和味一里塚跡は、江戸時代に盛岡藩13代藩主である南部利済公が志和稲荷神社への参詣道として整備した「稲荷街道」に築かれたものです。一里塚とは、主要な街道に一里(約4キロメートル)ごとに設けられた塚で、旅人が距離の目安として利用しました。和味一里塚は、道の両側に土を盛り、その上にエノキや松などの木が植えられた形で現存しており、町の指定文化財となっています。

稲荷街道には、和味一里塚の他にも赤林一里塚が残っており、これらの一里塚は当時の街道の様子を今に伝える貴重な資料です。特に和味一里塚は、両側の塚が現存する数少ない例であり、歴史的価値が高いとされています。江戸時代の一里は約4キロメートルですが、稲荷街道では一里が約4.6キロメートルと少し長くなっているため、距離の計算には注意が必要です。