境内の大黒柱には刀の痕が点々と残されています

「合元寺」中津城下町の一部であり、中津駅から徒歩で約6分の距離に位置しています。 通称「赤壁」とも呼ばれています。
この寺は、天正15年(1587年)に黒田孝高に従って姫路から中津に移り住んだ浄土宗西山派の開山空誉上人が開基したと伝えられています。
その後、天正17年(1589年)に黒田氏が前領主の宇都宮鎮房を謀略をもちいて中津城内で暗殺した際、その従臣らがこの寺を拠点として奮戦し、最期を遂げました。
その時の血潮を浴びた門前の白壁は何度塗り替えても血痕が浮き出るため、ついに赤壁に塗り替えたといわれています。
当時の激戦の様子は、現在も境内の大黒柱に刀の痕が点々と残されています。
また、戦死した鎮房の家臣は合葬し、寺内の延命地蔵菩薩堂に祀りたてられています。