迫害を逃れた信者たちの祈りの聖地

キリシタン洞窟は、幕末から明治初期にかけてのキリシタン弾圧の時代に、迫害を逃れるために隠れ住んだカトリック信者たちの避難所として知られています。

洞窟は若松港から瀬渡船で約10分の場所にあり、奥行き50メートル、高さ5メートル、幅5メートルの広さを誇ります。洞窟の入口は海岸からは見えにくく、十字の形をしたドーム型の内部構造が特徴です。このため、外部からの視線を避けるのに最適な隠れ場所となっていました。

1868年、久賀島で約200人のキリシタンが狭い牢屋に入れられ拷問を受けるなど「五島崩れ」と呼ばれるキリシタン弾圧が始まりました。若松地区周辺でも多くの信者が迫害を受け、里ノ浦地区の山下与之助、山下久八、下本仙之助らは、迫害を逃れるために、船でしか行くことのできないこの洞窟に身を隠していました。しかしある朝のこと、朝食を炊く煙を沖を通る漁船に見つかり、役人に通報されて捕らえられてしまいました。

その後、1967年に洞窟の入口に高さ4メートルの十字架と3.6メートルのキリスト像が建てられ、信仰を守り抜いた先人たちの苦しみと悲しみを永く祈念する場所となりました。毎年11月には、土井ノ浦教会の信者を中心に約100名が上陸し、ミサを行い祈りを捧げています。

洞窟の近くには荒波の侵食でできた穴で「ハリノメンド」と呼ばれる場所もあり、聖母マリアが幼児イエス・キリストを抱いている聖母子像のシルエットに見えることで注目されています。