古代白河郡の歴史を体感する官衙遺跡

関和久官衙遺跡は、約1300年前から250年間にわたって古代白河郡を統治していた白河郡役所の跡地です。この遺跡は白河市借宿の借宿廃寺跡と共に国の史跡「白河官衙遺跡群」を構成しており、陸奥国白河郡の郡家跡と推定されています。

関和久官衙遺跡は、阿武隈川の北岸に位置し、川が形成した沖積地から河岸段丘上にかけて広がる長方形の遺跡です。東西270メートル、南北約460メートルの広さを持ち、その周囲を大溝が巡っています。遺跡の中程を東西に川が流れ、遺跡を南北に分けています。

この遺跡は、7世紀末から10世紀後半まで機能していたとされ、南側の一帯からは多くの倉庫建物が見つかっています。これらの倉庫は、創建当初は掘立柱建物であったが、後に礎石建ちの倉に建て替えられ、瓦葺きの高床建物であったと推定されています。南北に6軒、東西に3軒が整然と建てられており、税として納められた籾が収納されていたと考えられています。

一方、北側一帯からは多くの掘立柱建物が見つかっており、ここは古代の役人が戸籍作りや税の出納事務を行った場所であり、この遺跡の中心的施設と考えられています。8世紀後半には東西に建物を配置する方式が出来上がり、9世紀にはさらに整備され、南や東の塀に門が取り付けられ、内部には2軒の桁行5間、梁行2軒の掘立柱建物を中心に、数軒の建物が配置されました。

この遺跡は古代の白河郡役所の全貌を知る上で重要な手がかりとなる場所であり、関和久官衙遺跡を訪れることで古代の役所の機能や構造、当時の生活様式を垣間見ることができるでしょう。