女人禁制の地に秘められた悲恋の伝説
神威岬は、積丹半島の北西部から日本海に突き出た高さ80メートルの岬で、透き通るような美しい「積丹ブルー」の海を眺めることができます。
駐車場から岬の突端へは、ややアップダウンのある遊歩道「チャレンカの小道」を通って約20分の道のりです。この遊歩道を進むと、起伏に富む神威岬の景観や積丹ブルーの海を眺めながら先端までたどり着くことができます。先端では周囲300度のパノラマビューが広がり、地球の丸さを実感できる絶景スポットとなっています。
神威岬の名前の由来は、アイヌ語の「カムイエトゥ」(神の岬)から来ています。岬の先端には神威岩があり、古くからアイヌの人々にとって神聖な場所とされてきました。
また、神威岬には源義経にまつわる「チャレンカ伝説」という悲しい物語が伝わっています。
壇ノ浦の戦いで平家を滅ぼした最大の功労者であったにもかかわらず、兄・頼朝からの信頼を得ることができず、平泉で自害したとされる源義経ですが、実は生き延びて北へ逃れ、津軽から蝦夷地に渡ったという説があり、この地で出会った首長の娘チャレンカと恋に落ちます。しかし、義経は蝦夷に留まるつもりはなくチャレンカに黙って中国大陸へと旅立ちます。義経の不在に気付いたチャレンカが追いかけて神威岬までたどり着くも、船ははるか沖の彼方へ。悲しみにくれたチャレンカは、恨みの言葉を残して海に身を投げ、その身体は神威岩と化したと言われています。以来、その周辺に女性を乗せた船が近づくと海が荒れて必ず転覆したことから、神威岬はかつて女人禁制の地とされていました。