依田勉三の夢と挑戦が息づく場所
晩成社の跡は、北海道開拓の歴史とその苦労、そして自然の美しさを感じることができるスポットです。
晩成社は、明治15年(1882年)に静岡県で依田勉三を中心に結成され、土地開墾や農業、牧畜を目的として活動を開始しました。翌年には帯広市に移住し開墾を進めましたが、その後大樹町に拠点を移し、晩成社当縁牧場を開設しました。
晩成社の跡地には、依田勉三が明治26年(1893年)から大正4年(1915年)まで住んでいた住居が復元されており、当時の生活を垣間見ることができます。また、井戸跡やサイロ跡、ムロ跡なども残されており、開拓時代の苦労と努力を感じることができます。依田勉三が詠んだ「もみじひら歌碑」もあり、彼の思いを感じることができる場所です。
晩成社の歴史は、十勝地方の開拓と密接に関わっています。依田勉三とその仲間たちは、バッタや野ネズミの害、天候不順などの困難に立ち向かいながら、原生林を切り開き、不毛と思われた土地に農業と酪農を試みました。彼らはバター(マルセイバター)やチーズ、缶詰の製造など、様々な事業に挑戦しましたが、ことごとく失敗に終わりました。それでも、依田勉三はその生涯を十勝の開拓に捧げ、「晩成社には何も残らなかった。しかし十勝野は…」という言葉を残しています。
現在、晩成社の跡地は「晩成社史跡公園」として整備されており、訪れる人々に歴史の一端を伝えています。広々とした敷地内には、復元された住居やサイロ跡、井戸跡などが点在し、当時の開拓者たちの生活を感じることができます。