熊野信仰の一翼を担う歴史と伝統が息づく神社
闘鶏神社は、創建1600年を超える歴史ある神社で、熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)の別宮的存在として、熊野信仰の一翼を担ってきました。社殿は熊野本宮大社が川の増水で流失する以前と同じ配置をしており、熊野信仰の歴史を今に伝える貴重な場所です。また、2016年には「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に追加登録されました。
闘鶏神社の名は、平家物語に登場する壇ノ浦の戦いに由来し、源氏と平氏の双方から援軍を要請された熊野別当湛増(たんぞう)が、どちらに味方するかを決めるために、神社本殿の前で赤を平氏、白を源氏に見立てた紅白7羽の鶏を闘わせたことが由来とされています。この故事に基づき、境内には湛増とその息子である武蔵坊弁慶の像が立っています。
闘鶏神社の境内には、国指定重要文化財である社殿が6棟並んでいます。これらの社殿は熊野十二社造と呼ばれ、西殿、本殿、上殿、中殿、下殿、八百萬殿の順に配置されています。また、武蔵坊弁慶を讃える弁慶社もあり、弁慶松と呼ばれる松の木が植えられています。他にも樹齢1200年を超える大楠や藤巖神社など、多くの見どころがあります。
闘鶏神社では、年間を通じて様々な祭りやイベントが開催されおり、特に7月24日・25日に行われる田辺祭は地元の人々や観光客で賑わいます。この祭りでは、「お笠」と呼ばれる山車が町中を練り歩き、古式ゆかしい夏祭りの雰囲気を楽しむことができます。