伊達政宗も愛した塩松地方の名城跡

小浜城跡は、戦国時代に築かれた山城であり現在は史跡公園として整備されています。

小浜城は、1471年(文明3年)に大内宗政によって築かれました。
城の別名は「下館」とも呼ばれ、戦国時代には重要な拠点として機能しました。城跡の南方約2kmには宮森城跡(別名「上館」)があり、小浜城と宮森城は連携して防衛を担っていました。
特に、伊達政宗が1585年(天正13年)にこの城を攻め落とし、翌年まで居城としたことが知られており、政宗はこの城を拠点に芦名氏や会津地方への侵攻を行いました。

小浜城跡の名前の由来については、この地の風土が宗政の生まれた若狭の国の小浜に似ていることから「小浜城」と命名したと言われています。

小浜城の歴史は豊臣秀吉の奥州仕置きによって大きく変わります。1591年(天正19年)蒲生氏郷がこの地を治めることとなり、家臣の蒲生忠右衛門が城主となりました。
現在も城跡には蒲生氏郷時代に築かれた石垣が残っており、当時の面影を偲ばせます。

小浜城跡は二本松市役所岩代支所の東側に位置し、丘陵地帯に広がっています。最も高い場所に本丸があり、その周囲には6つの大きな郭が配置されています。
南西方向には小規模な郭が階段状に配置されており、戦略的な防御が可能な構造となっています。本丸跡は現在、史跡公園として整備されており、桜の名所としても知られています。