粟ノ巣の変の舞台となった伊達家ゆかりの城跡

宮森城跡は、歴史と自然が調和した魅力的な観光スポットです。宮森城は1396年(応永3年)に宇都宮氏によって築かれ、四本松城(しおのまつじょう)とも呼ばれていました。宮森城跡の北方約2kmに小浜城跡があり、宮森城を上舘、小浜城を下舘と呼び、2つの城が連携して防衛体制を形作っていました。

宮森城は戦国時代の東北地方における権力闘争の一環である「粟ノ巣の変」の舞台となった城館として知られています。
粟ノ巣の変とは、1585年(天正13年)に起こった事件で、二本松城主の畠山義継が伊達輝宗を宮森城での会談中に拉致したことに端を発します。輝宗は伊達政宗の父であり、拉致された後、政宗が救出に向かいましたが、その過程で輝宗は命を落としました。この事件は、奥州の名門である畠山家の滅亡の原因となり、伊達政宗の勢力拡大に大きな影響を与えました。事件後、政宗は二本松城を攻撃し、畠山家を滅ぼしました。

現在、宮森城跡には神社が建てられていますが、当時の郭跡や石垣、堀切などを確認することができるほか、本丸跡には礎石や庭石に使われていたと思われる石が残されています。