歴史と匠の技が息づく静謐な空間

隣政寺は、天正元年(1573年)に日得上人によって日蓮宗として開山され、その後、元禄年間に天台宗に改宗しました。山吹村を治めた旗本、座光寺氏の祈願寺として、地域の人々から篤い崇敬を集めてきました。

境内には、歴史を物語る本堂と不動堂(蚕玉堂)が静かに佇んでいます。

明治二十七年(1894年)に再建された本堂は、名工として名高い木曽亀(坂田亀吉)の手によるものです。特に注目すべきは、向拝正面の子持ち竜、そして左右の昇り竜・降り竜の迫力ある彫刻です。これらは木曽亀の師匠である立川流の彫刻師、立木音四郎種清の作であり、その卓越した技術を今に伝えています。
本堂の南側に位置する不動堂は、明治二十一年(1888年)に今宮郊戸神社より購入移築されたものです。不動尊とともに蚕玉神も祀られていることから、蚕玉堂とも呼ばれています。かつては近隣の蚕種を預かり貯蔵する場所として使用されており、養蚕の歴史を今に伝える貴重な文化財となっています。

隣政寺は「山の寺」と呼ばれるように、標高890メートルに位置しています。この標高と気温の低さから、古くから近在の蚕種を預かり、貯蔵する役割を担っていました。蚕玉堂は、養蚕業が盛んだった当時の歴史を伝える、重要な文化遺産と言えるでしょう。